散歩

王禅寺界隈の散歩である。

いくら地元と言っても、小学生はそんなに行動範囲は広くないし、中学〜高校時代は自転車小僧だったがあまり意味の無い行動(単なる探索)をしていない。
大学生の頃は車や原付に乗るようになり、行動範囲は広がったがむしろ地元よりは都内の方が活動の中心だった。
就職してからはほとんど地元には住んでいないので、結局地元でもすっぽりとわからないエリアが存在するのだ。
主要地方道レベルではすべてわかるのでその間を網羅する小径の「そーいえば行ったこと無いな」的なところを巡ってみるのである。時間は日が暮れるまであるし、体力は1日中歩くくらいはある。めんどくさくなったら帰りにバスに乗るくらいの予算もある。

そんなことでメモ。
ローカル過ぎて(姉貴以外)誰にもわからんと思う。

手薄な南西側へ赴いた。グリーンタウンに入ると、何とサイクルM(18年前ティレル号を買った店だ!)がまだあった。あそこは立地条件も悪いし店舗も広くないので正直生き残れないと思っていた。だいぶ現実的な営業をしているようではあったが、当時まだ珍しかったBianchi(ビアンキ:名門イタ車:信号機の青をパステルにしたような色(チェレステ:地中海の空の色らしい)の自転車なのでとても目立つ。通常はありえないシートやハンドル等までチェレステで統一してるので非常に美しい。)の取扱店であったが、今でもちゃんとBianchiが飾ってあった。というか当時モンのマニアックな車両だなありゃ。飛び込んで店主にティレル号のことを話せば思い出してくれる(ティレル号は拘りの自転車を2度盗まれた末に買った3代目なのだ。)と思うが、今現物があるわけでもないし今後何か買うでもないのでやめとこう。

裏に回ると「むじなが池」がある。これは、恐らくもともとここに水溜りはあったのであろうが、ニュータウン開発された時には循環型の人工池に作り変えられた。んだと思う。そこを、なんと、丁度浚渫工事していた。水抜いて、底に溜まったヘドロをバキュームカーで除去しているところだった。これは大変。けっこうでかいんだぞむじなが池。「鯉等は別のところに一時退避しています」みたいな看板が御丁寧に立っていたが、亀が泥の上を歩いているのを目撃してしまった。まあ大丈夫だろうけど。

いろいろ紆余曲折あり、出てきたところに白山神社があったので立ち寄った。ここまでは昔の行動範囲だな。更に南西へと進む。
通りに出た。麻生台団地の裏口だ。ここが大谷のすぐ横だということは後でgoogle mapみて気付いた。麻生台団地を抜ければ県道12号横浜上麻生道路にぶつかるのは知ってる、が団地を通り抜けている間に「月讀神社」の看板が目に付きそっちへ逸れて行った。小さな神社ではあるが、想像したよりはでかい。なかなか歴史はあるらしい。ほほうこんなところにこんなのがあったのか。そのすぐ脇にダルマ市で有名な麻生不動尊があるというのはあとで気付いた。月讀神社から正面の参道へ出てしまったが東参道へ抜ければ麻生不動尊にも寄れたのだな。でも西参道から入って東参道へ抜けるというのはちょっと気が引ける。脇から入ってしまったら正面から出たいものなんである。特別な理由が無い限り神社仏閣に拘わらず正面から出入りするというのは密かなポリシーなんである。

柿の実幼稚園という矢鱈立派な幼稚園の脇を抜けると今度こそ正真正銘県道12号横浜上麻生道路である。この道はチャリで終点東神奈川まで制覇しているので良く知ってる。その後だいぶ変わってしまった道だがこの辺は昔のままだ。ってかここオヤジの以前の職場のところだな。
ここまで大した距離は歩いてないが寄り道が多いので結構時間が経ってしまった。早野方面へ向かって戻ることにしよう。

徒歩なのに早野まで行くのはいかにもつまらないので手前でまた水路沿いの脇道に入ってみると、「子ノ神社」というのがあった。ねのじんじゃと読むらしい。子は十二支の子である。つまり大国主命が祭ってあるのである。そして関係無いがわしもねずみ年である。ここはホンの小さな氏神様であるな。

これを過ぎると石橋に出た。早野回りで戻る道をショートカットしたことになる。方角的に当然そうなるわけだが。あとは何処をどう歩いても良く知ったエリアであるな。
琴平神社に立ち寄る。久々に銭洗弁天で洗ってみた。そしてその後本殿に上がろうとするとロープで仕切られて入れないようになっている。なになに?昨年6月に放火で消失ですと?それは初耳であった。確か一昨年の暮にはこっちに来たので初詣は紅白終わるなり此処へ来たんだよ。でも去年は盛岡で年を越したから知らなかった。ローカルニュースでしか報道されなかったのだろうし。

拝殿へ引き返して再建のための奉賛金を納めた。名前が残らない程度の小額である。
申込では住所とか書くようになってるが、まさか熊本市とか書いても意味不明なので実家の住所を書いた。もともと此の地の人間として納めるのであるよ。

琴平神社とくれば次は王禅寺である。
名前は地名になるほど有名であるが、密教の寺なのでいつ行っても人影なく閉め切られ辺り一面鬱蒼として周辺の喧騒から隔離された雰囲気である。しかしなんと今日はその開かずの王禅寺が開いておった。
(新)本堂はいつも通りびちっと閉まっているが、旧本堂で御本尊の聖観世音菩薩像が公開されてたのだ。ふらっと通りすがっただけだったが快く迎え入れてくれ、本堂の中でしっかりと拝ませていただいたよ。ついでに茶まで頂戴したりして。これは檀家でもないのに稀有な体験であったな。


結果的に寺社ばかり回ってる感じになってしまったが、地元にこんなに神社あるんだな。ってのが正直な感想。

そんな午後の4時間。



王禅寺境内にある「禅寺丸柿」の原木。
樹齢約400年といわれる。



念のため、「ぜんじまる」柿と読む。そして寺の名は「おうぜんじ」だ。
知らない人は、覚えてね♪



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