Tyrrel号O/H

だいぶ佳境感が出てきた。
BBのロックナットを磨いてシールコート。綺麗になった。

前後ブレーキを綺麗にした。細かいネジは錆取り液。一部シルバー塗装。

ペダルのベアリングは一晩おいてもカランカランだったので、ボトルのグリース をガッツリ詰め込んで蓋で押し込んだ。ねっとり感に変わった。ちょっと固めな 感じだが軸のアタリで固いんじゃないからいいのだ。

ボスフリーをもう一度抜いて、隙間からスプレーグリスをガッツリ吹き込んだ。 効果はわからん。悪い方向には行かないだろ。

アクスルシャフトのクイックレバーを組んで、ホイールが脱落しないようにした。 これで作業性がぐっと上がってくる。しかし部屋が狭い。

ブレーキを付けた。前後ともついた。一気に締まった感じになるね。
BB下のワイヤーガイドとダウンチューブの変速レバー&アダプターを付けた。
いちいち洗浄しながら、グリスアップしながらなのでそこそこ時間はかかる。
でも楽しい。

今日はここまで(出勤前)

母さん入院

18:00頃の姉からのメールで、母さんが聖マリに入院していたことを知る。
7/7の未明からなのか。
直接的には誤嚥性肺炎。だそうだ。大脳皮質基底核変性症というのがもらってい る病名だが、運動神経への伝達が徐々に悪くなっていくので、体が動かないの次 は噛めない飲めない、最後には呼吸困難にもつながる。
誤嚥が始まったというのは大きな一歩を踏み出したのかもしれない。

状況がよくわからないが、皆落ち着いて対応しているよう。
変な話、一昨年の暮れの入院で随分いろいろなことに対するシミュレーションが できたし耐性もできているのだろうか。

勤務後までメールに気づかない。その後幸代が見つけた同病の方の息子氏のblog を一通り読んだ。
いろいろ思うところはあるが、参考になる。
その人のが典型的な大脳皮質基底核変性症なのか、母のがそうなのかもわからな いし、blogに拠ればそもそも脳みそ開けてみないと確定しないとかいうが、
その方のは割と進行が速くて、局所的な症状が連続で出ていたようだ。
母のは、かれこれもう10年になる。9年半くらい?盛岡で、紗希の帯祝いをする のに呼んだ時にはもう始まっていたと聞いた。柏崎で紗希が生まれた時は、明ら かに変な症状が見られた。発作的にいろいろあるようだった。
ストレスからのメンヘルが先なのか、後なのか。国勢調査の手伝いをした時辺り に非常に負荷がかかって、不安で不安でというような感じだったな。これ2005年? 2010年調査ならもう仕事受けてないだろうし。

運動神経への伝達障害は当初から。
時々発作的な意識障害。幻覚のような? 認知症にも近いが、どうなんだろう。 広い意味では認知症の一つなんだろう。ここはどこ、あんた誰状態。
そして考えがどんどんコンサバになっていく。
フラつくと当初から言っていた。小脳辺りの、平衡感覚を司るところは割と当初 から来ていたんじゃないかと思う。

現在は、自力で起きれない。支えてあげれば掴まって立っていることはできる。
茶碗などが斜めになってしまい、こぼす。本人も座っていても斜めになっていく。 真っ直ぐの感覚がわからないのだろう。眩暈だと不快感がひどいだろうが、真っ 直ぐがわからないのはとても怖いと思う。

意識はAMは良くないらしい。昏々と寝たり。夜トイレに起きる時なんかは、誰が 誰だかわからんようだ。姉が一晩で音を上げていた。
母の中では婆さんが良く出てくるらしい。妄想・幻覚と現実の境界が無くなって いる。その割、悩まずに器用に受け入れているようだ。クヨクヨするのが悪い癖 だという自覚もあるので、悩まないようにしようとそこだけは気丈に振舞ってい るのかもしれない。


ITOH Osamu/ Sachi/ Guest Book/ 036@itoh.gentei.org